それでは古いものからなんとか私がご説明できる方を…
「遠くからアチャコとわかる歩きぶり」
スタンドマイク一本勝負、しゃべくり漫才の生みの親「エンタツ・アチャコ」の花菱アチャコ。彼らがいなければ名人「やすきよ」も存在しなかったかも…?最近はラップやダンス、コントを交えた芸が多いので所謂正統派しゃべくり漫才を観る機会も少なくなりました。
「兄弟仲良く笑いの学を はげめはげめと はげんで来たが やっぱり兄貴が ハゲちゃった」
ページをめくっただけで笑いがこみ上げてきます。またこの似顔絵の素晴らしいこと。眺めているだけで楽しく幸せな気持ちになります。芸というものはこうでなくっちゃいけません。
昔々亭桃太郎。文中の「兄」はご存知柳家金語楼。とても良く似ています。何度見返しても可笑しい。日付も洒落てます。「笑話三重三念録月」昭和33年6月ですね。最初はなんのことか意味がわからず、出し物の題目かと思ってしまいました。昭和を笑話、三十を三重、とは。粋です。
何故に、と父に聞きました。松阪の中町に「岡寺さん」と親しみをこめて呼ばれる厄除け観音で有名な「岡寺山継松寺」があります。昔、その近くに『松阪座』という芝居小屋があったそうです。二人ともそこに来ていたのではないかとのことでした。
そういえば梶井の「城のある町にて」の中にも峻が連れ立って芝居小屋に行く描写がありました。それも松阪座のことだったのでしょうか。今度詳しい方に聞いてみます。
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